昔は野球が好きだった。学校から帰ると同級生とその足ですぐ鴨川の河川敷に集まり、シャツが肌に張りつくほど野球をした。その後東京に出てきて大学に入り、法学をそれなりに勉強した。そうやって二十数年生きてきたが、その間、花を生けることは好きでも嫌いでもなくあまり関心がなかった。いけばなの稽古はしていたが、恵まれた環境にあって驚くほどうまくならなかった。そうした中で、大学を卒業したこともあり東京で新しい先生に就き、また稽古を再開することになった。
新しい先生はそこら辺を歩いていそうなお爺ちゃんだ。スマホ音痴で細かいことが苦手ですこし頑固な、どこか昭和の田舎にいそうな雰囲気である。彼と稽古をするのは密室の空間で、朝から晩まで草木を除けばふたりきりで長い時間を過ごす。スケジュールを無視して何時になろうとも稽古が終わらないことはよくあったし、途中まで生けていた花をすべて抜かれたこともあった。「これがよくないんや」「これはこうしたらいい感じじゃない?どう思う?」なんて言われながら最終的に自分の花が跡形もなくなったのには笑ってしまったが、彼は嘘をつけない人なのだ。こうした方がいいと思うと、黙って見ていられない。彼は花に対して常に誠実だった。
ある日、大きないけばなを生けた。その日は額縁のように花を縁取ろうということになっていて、昼すぎまで木材をつなぎ合わせたり別珍を貼ったりと二人で汗をかいた。そして花を生けていったのだが、ようやく完成という段になって、彼は全体をじっと見つめていた。そして、口を開いた。「この隅のくわずいもの葉、もうちょっと上向いた方が光を感じるんじゃない?」衝撃だった。これだけ大きないけばなで、時間をたくさん使い枠を作ったりなんだりしたのだ。花もいろいろと入れた。それなのに彼が最後に気になったのは、隅にあるただの葉っぱ一枚の向き。この人は私の見えていないものを見ていると思った。思い返せば思い返すほど、私の心に波紋のように響いていく思い出だ。彼は私と同じものを見ながら、私には見えていないものをいつも感じようとしていた。
彼は不器用な人だ。いけばなの世界でものすごく出世したわけでもなく、大金持ちであったり大企業の社長や政治家であるわけでもない。その辺りの道を歩いていれば、どこにでもいるただのお爺ちゃんである。しかし、彼は自分に嘘をつかない。植物の命の美しさを感じることに文字通り生涯を捧げ、彼の慕う先生を愛し、尽くし、そのことに喜びを感じる。私に対しても常に誠実であり、謙虚だった。この現代の社会に生まれ、狭い価値観の中で生きるかつての私にとって、彼の存在は異質そのものだった。社会一般からすると彼は有象無象の単なる老人のひとりかもしれないが、彼は正しい道を歩んでいると私は思った。
彼と過ごした時間の中でなにかドラマチックな出来事があったわけではないが、長く濃密な時間をともに過ごし、彼の情ある態度に接するうちに私の心も絆されていった。私は彼に負けたのだ。彼と出会って私は花を生けることを信じるようになり、いけばなを通してたくさんの豊かな出会いがあった。彼が私にそうしたように、私も私の経験したこの衝撃と喜びをより多くの人に体験してほしいと思っている。草木の命との交わりを信じることはあなたがあなたであることを許すことに繋がり、そこからたくさんの豊かな出会いが生まれ、他者を受け入れることにつながっていくのだ。
だから私は今日も、花を生ける。
池坊専宗Senshu Ikenobo
華道家・写真家
華道家元池坊 次期家元池坊専好の長男として京都に生まれる。慶應大学理工学部入学後、東京大学法学部入学。東京大学卒業時に成績優秀として「卓越」受賞。名もなき花を生け、日常の一瞬間を写真として描く。JR京都伊勢丹にて祈りの展示「MOVING」、日本橋三越本店にて写真展「一粒の砂 記憶 ひかり」を行う。池坊青年部代表、京都市未来共創チームメンバー、東京国立博物館アンバサダー、花の甲子園審査員、2024年度 KYOTO CRAFTS and DESIGN COMPETITION審査員。 講座「いけばなの補助線」や文筆、インスタレーションなど様々なかたちで日常の美しさと交わることを伝え続けている。信条は「光を感じ、草木の命をまなざすこと」
「25ans」「目の眼」「現代のことば(京都新聞)」「ざ・いけのぼう」にて連載、「家庭画報」「SPUR」「DiscoverJapan」などに掲載。 ラジオ日本「池坊専宗の団子より花」のパーソナリティを務める。「あさイチ」「あなたの知らない京都旅」「What’s up(クロアチア国営テ レビ)」などに出演。伊勢神宮献華奉仕、VOGUE In Bloomに出演、曲水の宴にて作詩、LAや台湾など国内外で出瓶